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 2002年 8月8〜9日

長崎原爆・平和祈念式典に出席

《 8月8日 長崎原爆資料館 見学 》

前日の 8月8日に長崎に入り、初めて出席する式典の前に、原爆資料館を見学することにしました。

展示されている写真やさまざまな生活用具。
爆風により ゆがんだ鉄製の建物部分・・・
高熱により 溶けてしまったガラスビン・・・

どれを見ても、信じ難い現実がそこにありました。

資料館に入る時はとても暑くて、館内の冷房にホッとしました。
けれども、見学を終えて資料館を出た時は、外の暑さを感じないほど、心も身体も重くなっていました。

日本は、地球上で、原爆投下被害を受けた世界唯一の国であること。
この悲惨な現状を後世に知らせ、平和への誓いを叫ばなくてはならない使命がある・・・と。

まさに、『理解しなければ、次への道はないんだ』 と。

原爆の惨禍による数多くの犠牲があることを、忘れてはいけない。
くり返してはならない、という苦しい決意でいっぱいでした。

《 8月9日 長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典 》

長崎市松山町の平和公園で、被害者や遺族の方々、自治体の関係者が出席し、来賓として、小泉首相、坂口厚生大臣も参列。

原爆投下の午前11:02 黙とうをささげ、
式典の中で、長崎市の伊藤一長 市長が『平和宣言』をよみあげました。
被害者代表より、『平和への誓い』があり、
長崎の願いと平和への誓いをあらたに、式典は終わりました。

写真:長崎平和公園、「平和祈念像」の前で撮影
長崎平和公園、「平和祈念像」の前で

「平和祈念像」

作者:故 北村西望氏


上に指さした右手は
 『原爆の脅威』を・・・

水平にのばした左手は
 『平和』を・・・

軽くとじたまぶたは
 『原爆犠牲者の冥福』を・・・

祈っているといわれている。

1955年完成。

 1945年8月9日 午前11:02 

長崎市浦上町の上空 約500mで、ファットマンと呼ばれるプルトニウム爆弾が破裂した。

その0.2秒後には、半径200mもの火球となり、表面温度は太陽とほぼ同じ8000度。

このエネルギーは爆風となって、長崎の街を破滅させた。

広島以上に規模の大きい原子爆弾で、長崎は地形が両側の山にはさまれた谷間になっている為、被害が甚大に集中した。


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